日本的な とにかく日本的な

駒込駅徒歩1分の学習塾、新時代対応学習サロンPEAKSです。

 参議院選挙も終わり、その後の政治はどうなっているか……という報道を差し置いて、連日芸能事務所の話題で持ちきりのようです。

 ここではどこが、だれがどうだという私の意見は置いておき、どうにもこうにもこの事態、日本人の、子どもへの接し方の副産物なんじゃないか?という気がしてきておりますので、その話を。

 多くの人が一度は言われたり聞いたりした言葉、「怒らないから言ってごらん」に、集約される態度がそれです。

 まあ、大人が子どもにこれを言って、子どもが正直に話したとして、おおむね怒りますよね。大人からしたら怒ってなくとも、そこで数十分、数時間にわたるお説教に入れば、子どもからしたら怒られるのと大差のない話。

 当然、大人は子どもの間違いを正さねばなりません。問題は、そこに、怒らないという約束を反故にしたという悪事が生じていることです。

 大人は子どもよりエラいのだ。エラい人の言うことは黙って聞き入れればよいのだ。それが社会通念……というなら、日本社会では確かに、そうなのかもしれません。たとえそれが、明らかな理不尽であったとしても。当然のことながら、大人と子どもの他、先生と生徒、上役と部下の間でも同じ構図が成り立ちます。

 家庭でも、学校でも、社会でもこの調子であれば、「バレなきゃいい」という人間になりますまいか?また事実、バレなければ構わないと、大人ですら思ってはいませんか?

 しかも、世の中ますます細かいことにまでうるさくなっています。そんなに目くじら立てなくてもいいのではないかと思うことにまで気をつけるよう要求されがちです。結果、バレなければ構わない程度で、騒ぐほどのことではないのか、バレなくてもまずいことで、バレれば大ごとなのか、見分けがつけづらくなっているところがありますまいか。あわせて、大したことがなさそうなのに「大ごと」になることも増えてはおりますまいか。

 総じて、家庭でも、学校でも、社会でも、目上とされる者が権威をかさに、黙って従っていればよいという態度で他者に臨むことの是非を見直していかないと、上から下まで「バレなけりゃいい」という人間だらけになることでしょう。そして、不祥事の起こるたびに、「どこにでもありそうな話でしょ。」ということでうやむやに終わり、また繰り返すのではありますまいか。

 あわせて、自分たちが大騒ぎしているものはどうして大ごとなのか、今騒ぐべきことは何かについて、ときどきは考えてみなければなりますまい。選挙結果を受けて政府がどうするのか、と、芸能事務所の不祥事と。とりあえずどちらが大ごとなのか。それすら我々にはわかっていないのかもしれません。

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