進路指導の建前は建前か

駒込駅徒歩1分の塾・予備校。新時代対応学習サロンPEAKSです。

 おそらくは毎年、日本のどこかで出てくる事案、かつ、個人的にも何回かはでくわしたことではあるのですが、試験直前になって進学自体を投げ出そうとする生徒さんは、います。

 ほとんどの場合は、机に縛り付けようとするかのような周囲の圧力を受けて、次の学校へ進んでもまた同じような生活になるだろうから嫌だ、となってしまったものです。気持ちはわかるけれども頑張ろう、としか言えない、逃げ出したい気持ちの表れです。実際に逃げて得をすることがあり得るとすれば、メンタルヘルスの点で事実必要だった場合くらいでしょう。そこまで含めて自分の判断のみで決定できる社会人からすれば、受験をやめる選択もかなり現実的ではあるでしょう。

 とはいえ、そうなる以前の進路を考える過程に問題はないのでしょうか?

 得意分野、好きなことを伸ばしていき、その方面の仕事につき、生きていければいいですよね?

 というような建前で将来を思い描かせる大人たち。

 いざ具体的な進路を決めるとなったとたんに、そんな夢みたいなことを言ってもお前には無理だからやめろと言い出す大人たち。

 大人の側からすればただひたすらに良かれと思ってしていることで、建前と本音を使い分けてはいないはずです。現在、より優秀に、何でもできる人材を育成するよりも、一人一人を、それぞれ抜きんでた得意分野のある人材に育成するほうが、時代の要請に沿うと考えられているようです。他方、平均的な生活を送れる人間が極めて少ないとされる方向へ向かうのは賢明ではないという視点もあります。総じて、大人の側にとっては、あくまでも人材育成の問題です。

 ただその一方、得意なこと、好きなことを存分にやりなさいと言われて(将来の収入を考えたわけではない)努力を重ねてきて、受験生と呼ばれるようになったとたん、それと関連しない(なんの面白みもない、むしろ避けたい)進路を期待されて、大真面目に葛藤する子どもたちもいます。経緯が経緯だけに、ちゃんとしていると思われている子でも、陥るときは陥ります。

 おそらくは、かなり早い段階で、生活できる力をつけるうえでどうするか、という視点が抜け落ちて指導して、されて、いるのではないかと思うのです。具体的な進路へ向けて動くよりも早い時期に、夢みたいなことを言っている子がいたとしても、気にする大人は少ないでしょう。また、進路を考えるうえであまり早い時期から「将来食えるように」という指導をしても、子どもたちにはあまりにも実感がなく、忘れられそうです。

 一つ確実に受験生に言えるのは、もう受験する手はずになっているのであれば、今はその壁を乗り越え、そのうえで悩み直せばよい、ということです。

 葛藤しながら最後の詰めの学習をしても詰まらず、試験には集中できず、受かって悩めたものを受からず悩む、などという結末は、いろいろと残念です。

 

 さて、本日、次の学校の合格発表がありました。

 帝京科学大学

 合格された皆様、おめでとうございます!

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